「止めることなく命は繋がっている!!」
こんな気になる記事がありましたので、お読みませんか ?
「止めることなく命は繋がっている!!」
「つながってゆくこと」 文・河瀬直美 かわせなおみ/映画監督
全国信用金庫協会「たのしい我が家」ずいそうより
丁寧な暮らしを心が掛けている。たとえばどんなに忙しくても玄関と床の間のお花はいつも元気である事。神様の榊と仏壇の仏花の水はきちんと毎日変える事。お庭には季節の花が咲いている事。これらはいつ頃からかわたしの日課となった。学生時代は家のことなどちっともしなかったのに、高齢の養母が健在だった頃にそのようなことをできていればもう少しは彼女の心も穏やかだったろうか。けれど、何も教わることなくあの頃を過ごしたというのに、彼女の気配がわたしに宿り、気がつけば彼女のやっていたことを自らおこなっていたことに驚く。血のつながりはなくとも、共に生活をする、その日常の中で「家族」であることの絆は深まってゆく。
生まれた時には両親が別居をし、ほどなくして離婚をしたという。母と暮らした記憶はなく、父の存在は二十歳を過ぎて初めて知る事となった。母方の祖父の姉夫婦が子供に恵まれなかったことから、生まれた私を引き取って育てた。若すぎる二十四歳の母には新しい人生が待っていたのだ。やがて母が再婚をした相手を中学生になるまで本当の父親だと思っていたが、違った。そんな事情が重なり、生まれた時の苗子からすると、今の「河瀬」はわたしにとって四つ目の名となる。使え古してつかえなくなったものを捨てる時「お世話になりました」と声かけてゴミ箱に捨てる事。旅先での宿を去る時におじぎをして「おおきに」とその空間に感謝する事。朝陽に手を合わせ、月に話しかけ、道ばたのお地蔵様に「まんまんちゃんあん」と頭をさげる事。彼女の生活を通した所作は知らず知らずのうちに私の信じるものとなってゆく。特定の宗教によるでもなく、自らの周りにあるものと共に生き、感謝の心を持つ。ただそれだけのことが、自らをよき方向に導きはじめる。誰も見ていないからといって物事を粗末に扱うことのないように、知らず知らずのすちに犯している罪を見つめる勇気をもつように、人と人の狭間にあって君は能力を発揮するだろう、と高校時代の恩師は卒業のメッセージボードに書いてくれた。
そのことの意味をあれから三十年経った今、想う。若い時代にさまよった道は、ようやくその先が明るさと共に開けてみえるようになった気がする。わからないからこそその無謀なエネルギー若さゆえの情熱と相まってその時にしか創れないものを誕生させた。史上最少年でカンヌ映画祭の新人監督賞に輝いたことに恥じない作品づくりとは何だろう。きっといつもになっても、ハングリ-である事。明るく見え始めた道に安心せずに、その道が平坦でないことを確かめながら、一歩一歩自分の足で歩いてゆく事。表現するという事は、自らの日常にも責任をもって在るという事だと今思う。明日も続く日々に感謝し、表現を続けてゆく事。「河瀬」の名でこの時代に遺す作品を創る事。それが人々の未来に光を与えられることをねがっている。
河瀬直美 かわせなおみ/映画監督
「もがりのもり」第60回カンヌ国際映画祭 審査員特別大賞グランプリを受賞する
全信用金庫「たのしい我が家」ずいそうより
「そうだ今日は本屋に行こう」
今日は、春文の日、朝から雪が降っている。お墓詣りも行けず「そうだ今日は本屋に行こう」
この2冊を朝から読みました。日本人の「すばらしさ・誇り」を新たに認識しました。
こんな生き方は・・・いかがですか?
こんな生き方は・・・いかがですか?
先ずは、あなたにとって誰が大事で、誰が大事ではないか!!
この話は、今から40数年前にある職人さんの親方から聞いた話です。
私が結婚する前の話しです。「穴水君、結婚してからの生き方を教えてやるよ。日本人には、生き易い生き方の順序があるんだよ」と言われました。それも楽しく生きるためにね。「それはね、結婚して1番大事な人は誰と思う」私は両親と答えました。「いやいや、それが違うんだ。先ず1番大事な人は結婚相手、パ-トナー(奥さん)だよ 2 子供 3 近所 4 パ-トナーの両親 (相手) 5 自分の両親 6 パ-トナーの兄弟 (相手) 7 自分兄弟 8 友達 9 職場の人
このような生き方を教えて頂きました。「要は、奥さんは他人なんだ。だから他人をよくすること、日本人がやることなんだ。それだから奥さんを大事にして、子供を大事に育て上げる。次は近所だよ。近所と仲良くすることで困ったときに助けてもらえる。昔から、遠くの親戚より近くの他人と言う言葉があるでしょう。それに自分の両親ではなく相手の両親や兄弟を大事にすれば、あなたの奧さんも貴方の両親や兄弟を大事にしてくれると思うよ。夫婦は思いやり、助け合いだよ。子供は育成すること、育て上げることだよ。そのような考えを持っていけば、あなたの周り人も貴方自身も生きやすく生きられるよ」と教えられました。
私自身こんな生き方があるとは思いもよらず考えさせられました。どうでしょう・・・いかがですか?
この生き方は日本人しか解らない生き方と思います。
また、子育てについても教えて頂きました。「子供は親の言うことを聞くのは3歳か4歳ぐらいまで」また、「子供にも人格があることを忘れてはダメ」と言われました。「10歳過ぎたら大人と同じように人格を作ってやること、親がバカであれば子供もバカと思った方がいいんだ。子供に教育を付けようとするなら、親がテレビを見ないこと、子供が勉強する時にバカな親はテレビを見て笑っている情けない親、子供が勉強する時は、親はテレビを消し、何でもよいので興味ある雑誌を読み、趣味の時間を作ること。子供も親も共通な時間を作ること。そうすれば少しは賢い子供になる」と言いました。私もなるほど思いました。
このような生き方をすれば、家族や親せきなど全てにおいてみんな、必ず幸せになり社会が明るくなると思います。今からでも遅くない、こんな生き方をしませんか ?
ちっと畳の上で考えませんか!!
※余談 子供と認める年齢は10歳迄とする。
(10歳過ぎたら子供に人格を作ってやることが大事です。また、一人の人間として社会に適用できる人間になると思います。10歳過ぎたら大人と同じです。ちっと自分自身の事を考えてみてください)
誰でもが知っている。日本人の優しさ
今日は、江戸しぐさと言う話しです。
ちっと、生活を見直ししませんか ?
『 江 戸 し ぐ さ 』と言う言葉 ・・・知っていますか?
「江戸しぐさ」 というのは、江戸商人の代表各の人達の考え方、口の聞き方、表情から身のこなし方などについて、美意識や感性の全てを考え、商人の生活哲学を作ったと言われています。このことは現在にも通用することと考えられます。
江戸しぐさ であるとされる例
江戸しぐさ であるとされる例
1 傘かしげ
雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと
2 肩引き
道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと
3 時泥棒
断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪(十両の罪)にあたる。
4 うかつあやまり
たとえば相手に自分の足がふまれたときに、「すいません、こちらがうかつでした」と自分で謝ることで、その場の雰囲気をよく保つこと
5 七三の道
道の、真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道3割にして、残りの7割は緊急時などに備え他の人のためにあけておくこと
6 こぶし腰浮かせ
乗合船などで後から来た人のためにこぶし一つ分腰を浮かべて席を作ること
7 逆らいしぐさ
「しかし」「でも」と文句を並べ立てて逆らうことをしない。年長者からの配慮ある言葉に従うことが、人間の成長にもつながる。また、年長者への啓発的側面も感じられる。
8 喫煙しぐさ
野暮な「喫煙禁止」などと張り紙がなくてとも、非喫煙者が同席する場では禁煙をしない
余談
日本人は、人に迷惑をかけないと言う社会は昔から出来上がっていたと言うことです。良い伝統はいつまでもつづいて欲しいですね。
ちょと、畳の上で ゴロ ゴロ して考えてみませんか?
畳の良さがわかるはずです。
ちっと、生活を見直ししませんか ?
気が付いたら直ぐに自分自身を、『 直しましょう.替えましょう 』
これぞ、日本人の習慣
ブッブッ独り言 - 人の命は永遠 -
「情報」 情報ってなんですか?
最近、良い情報か、悪い情報か解らないのですが マスコミが垂れ流す情報は何かって言えば安部総理一色 ? 他は株価の値下がり情報です。株取引をやらない人には関係のない話と思うのですが、況して私には関係がないことです。いやいや、ふっと考えてみました。国会議員のみなさ~ん、もっと国民にとって大事なことがあるはずです~ょ~
ヘリナシ畳・龍球表 ( ↑ 昔からの本物畳)
マスコミの皆さんに畳生活のいい情報がありますよ~ お願いし~ま~す。
タタミのいいはなし!!
1 「安全・安心」 畳の上の生活は転んでも怪我をしにくい。
理由は住宅の中で一番柔らかい床材です。
2 「環境・自然」 畳の表はい草が良い香りを出す。
理由は天然素材です。(工業製品では味あえない)
3 「絆・癒し」 畳の上での座卓や布団での生活は家族の絆が深くなる。
理由は前文の通り
こんな情報をマスコミの皆さんが毎日毎日流していただければ、畳離れを食い止めることができると思うのですが ~
マスコミの皆さん~ 畳は絶対にいいんですよ~ 畳の上の生活は幸せになりますよ~と・・・
どなたか、こんな情報を流してもらえますか~?
こんな、いやなはなし!!
最近こんな話が多いのです。ご年配者はもう「死にたいね~」とよく言います。なぜなんでしょう。
よく聞くと、子供に迷惑をかけるから早く死にたいんですよ~
況して、パートナー(連れ合い)が無くなれば余計に「死にたいね~」と言います。
私は必ず言います。「子供を育てたダチンを返してもらえばいいじゃないですか」昔の世の中はオダチンと言ってご褒美をいただいたものです。ダチンは良い事をしなければくれなかったはずです。子供を育てたダチンを老いてからの子供に返して貰えると思えばいいんじゃないですか~
子供には、絶対に言ってイケないこと「俺は、私は、貴方(子供たち)たちに絶対に迷惑をかけないからね!」この言葉は死んでも言ってわいけない言葉です。本来、命、家族は永遠続くものです。自信の自命はたかが100年と思っても、親から子供へ、子供から孫へ命は受け継がれていきます。これこそ「栄枯盛衰・えいこせいすい」です。「必ず誰しもが老いる子供、孫みな同じ、また、同じ人生を辿るのが人間であると思う。 老いては人に迷惑をかけるのは当たり前と思ったほうがいいんじゃないですか」と言っています。
人から人へ 家族から家族へ、人のつながり、家族のつながり「栄枯盛衰」です。
ふと、思うんです。子供との関係はどうなっているのかな~と思います。こんなことばっかり言って・・・・・
親が悪いのかな~・・・子供が悪いのかな~・・・
こんな淋しい親にして・・・・子供はいいのか~な~
遠くにいる子供さんは畳が好きなのかな ~
平成30年3月5日 記
「お客様は神様」です。
今日は、「お客様は神様」と言う話です。
つい昭和の時代まで、いや平成10年位まで日本の社会、経営者、商売人は全て「お客様は神様」と言う思いで仕事をしておりました。また、そのうえに「お客様には迷惑を掛けない」と言う風潮がありましたが、ここ近年、日本の秩序が大きく崩れ始めましたが、そう思うのは私だけでしょうか、その大きく変わった一つの節目は平成16年9月22日にアメリカのブッシュ大統領と日本の小泉総理との会談で日本にアメリカ側から規制緩和を求めてきました。その一人に、竹〇平〇氏が世界に勝ち抜くためにはアメリカ的資本主義を打ち出し、消費者(お客様)より株主を大事にする社会を進めました。昔から日本には、公共的なもの民間で出来るものと区別判別をしていました。でもここ数年であの規制緩和の仕組み、アメリカ的資本主義のやり方が蔓延しております。大半の企業が利益中心で、従来の日本のお客様第一主義、会社家族と言う考えを捨てています。その中日本人社会はギシギシになっているように思われてなりません。また、日本人の伝統や文化を捨てているように思います。
例えば、規制緩和の話をすれば郵便局民営化です。この民営化により地方の郵便局の統廃合が始まり、山村部の郵便局は無くなっている状況です。未だしも都市部の郵便局は良いのですが山村部の状況は銀行もなければ主な金融機関もないのです。日々のお金の出し入れや物を送るには大変なことが始まっています。地方でも一定の集落があるところは何とかなりますが、本当に困ったところ、高齢者や数人の人しか住んで居ない地域です。このように地方の人々が緊迫をしているのを竹〇平〇氏と元小泉総理は知っているのでしょうか。このような改革は全て利益を中心とするアメリカ的な経営、会社はただ儲かればいいという事です。欧米とは歴史や文化、伝統の違いがあるのです。それと共に日本の風土、土壌があるのです。本来、日本人は働く美徳、慎ましい生活が日本の伝統であり文化です。地域や人の思いを感じ取る社会です。以前の経営者の基本理念は、「道徳経済合一設」と言う考えから始まっているのです。地域で生産し雇用を生み出し地域や働いている人へ利益を還元する事と思っていたはずです。また、あの頃の「お客様は神様です」と言った考えは今どこに行ったんでしょうか。
ところで、この人を知っていますか、日本の資本主義の生みの親、埼玉深谷市生まれの渋沢栄一氏です。子供のころから「論語」を読み「算盤」を覚え日本を近代社会に変えた人です。時代は慶応2年、大政奉還へ移行する時代、徳川家最後、慶喜の異母弟、徳川昭武と一緒にフランスパリ万博に行きました。その時、渋沢栄一氏が感じたことは余りにも日本の違い知り日本が遅れているのを感じ、このパリで西洋の経済の仕組みを覚えようと渋沢氏はパリの残ることにしました。渋沢栄一氏が感じたことは余りにも市民が活気よく働いて知る姿を見て、日本も同じように国民、市民が活気よく働くような国にしたいと思い、また、「誰しもが良くなれば、必ず国がよくなる」とその時に感じたのです。渋沢氏はパリで資本主義の基礎を猛勉強し、日本に帰ってきて、先ず、多くの人から出資を願い出たのです。「国民が良くなれば、必ず国がよくなる」と思いを言い続けたそうです。当時の日本には会社と言う制度はありませんので、会社を作る制度を全て一から教えたと言われております。当時、渋沢栄一氏の関わった会社の数は500数社だったそうです。現在でも有名な会社、例えば、第一国立銀行(みずほ銀行)から、帝国ホテル・清水建設・サッポロビール・鉄道会社・他など殆どの会社と言う会社の創立には関わってと言われています。渋沢栄一氏の会社経営理念は「道徳なくして経済なし」「公益第一、私利第二」「道徳経済合一設」と言う経営理念を多くの人にその精神を教えたそうです。「道徳経済合一設」言う精神を現在の経営者はどのように思っていますか。自社だけ儲かれば言いという考え、渋沢栄一氏の信念・精神はもう日本人の経営者には無いのでしょうか
平成30年3月3日 記
ブッブッ — 独り言 —
『 なぜ歳をとると時間が早く過ぎるの 』 ジャネーの法則
ジャネーの法則より 19世紀のフランスの哲学者・
ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネが著
主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、
年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に解明した。
簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数
に比例する(年齢に反比例する)例えば、50歳の人間にとって1年
の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の
1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間
にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に
当たることになる。
「法則」といっても、科学法則ではない
「充実した時間は早く過ぎるが、あとからふりかえると長かった
ように感じられる。退屈な時間はなかなか過ぎないが、あとから
ふりかえると短かったように感じられる」、という説
また、いろいろなことをやった時間は「長かった」ように感じられるし、
たいしたことをしなかった時間は「短かった」と感じられるのではないか。
一般的に子供の頃のほうが毎日が驚きの連続で、ひとつひとつの体験が
強烈なので、「思い出」記憶になりやすい、人間は歳をとるにつれて、
世の中を理解していき、驚きが減っていく。よって、ひとつひとつの
体験が「思い出」記憶になりにくくなるのであるふとふりかえったときに
「短かった」と感じる。
ポール・ジャネより
畳の表で、花瓶敷とコ-スタ-作り!!
八王子市○○市民センタ-市民講座にて畳のゴザで花瓶敷とコ-スタ-作りを行いしました。
多くの皆様が参加されました。
「畳細工の妙味」と表現したい、参加者の皆さんの工作に、1時間30分がアッっという間、
ただ単に置物の下に敷くものだとして作っていたのだが、発想の転換!! 造花を取り付け
て壁掛けに 「ワッステキの声も、」皆さんこんにちは、今日は(株)あなみずの社長に
ご来駕を願い、「たたみ」についての講座、と≪畳≫を利用しての細工を受講いたしました。
今回は、「あなみず」さんのサービスで材料も提供していただき、参加者の皆さんが思い
思いの形を考えての工作、こうした機会は、、少ないような気がします。
さて 次回は、菜園について地域の{菜園づくり}の先生に講義をお願いいたしま
したので万障お繰り合わせのうえご参加のほどお願い申し上げます。 担当 竹田
大変上手に出来上がりました。 (花瓶敷の大きさ25×25・コ-スタ-10×10)
壁掛けの物まで作った方がおりました。
楽しい時間は約90分、中にはもう少し時間が欲しい、また、今後もこのような
畳の花瓶敷とコ-スタ-作りをお願いしますと言っておりました。?
このような畳の花瓶敷とコ-スタ-作りをご希望がありましたら
ご一報ください。ご相談に承ります。
「信用」と「信頼」-日本の伝統と文化-
-伝統と文化-「信用」と「信頼」 穴水美樹
私の解釈ですが、何らかの物事を作り上げて、出来栄えを良いとし また、いつも人に
良いことをしていることが「信用」である。また、「この先この人なら任せて置ける
と言うことが「信頼」です。例えば、誰もが「普段から貴方はいい仕事をしているね」
と言われたことは「信用」これからも「貴方にお願いします」と言われたのは「信頼」
と思います。もう少し言うと過去が信用、未来が信頼と思います。
今回は、家に関わる職人の世界の話しです。それも今から50年以上前の話しです。
昔はどこの家でも出入りの職人(お抱え・決まった)がいたという話しです。大工さん
・左官さん・水道さん・板金さん・屋根屋さん・経師さん・畳さん・植木さん等など
地域や町内など必ずいました。多かれ少なかれ職人は地域や町内の為 また、
お客様の為にと各家などに出入り職人としてお客様の家や町内を守っていました。
ことがあれば何があってもすぐに伺うようにしておりましたし、また、
「おせっかい」もしておりました。
その家のご主人や奥さんに「家は定期的に手入れをしませんと長くは持ちませんよ」
と教えたり また、昔ですから家の周りが汚ければ近所から何を言われるか
解りませんので、職人さんの方がその家のことを考えて「ああした方がいいとか、
こうした方がいいですよ」と言って気お使っていました。少なくてもどこの家でも、
家や家の周りはいつも綺麗にしておりまし、また、中には出入り職人もいない家も
ありましたが近所の人や知り合いなど、今で言う「小さな親切、大きなお世話」
をする人も多くいました。植木が伸びていれば「俺の知り合いの植木屋がいるよ」
と言い、トヨが壊れていれば「友達に聞いたんだが、綺麗な仕事をする板金屋が
いるよと友達が言っていたよ」とか、また、家に上がれば畳や襖が汚れていれば
「いい畳屋、経師屋を知っているよ」等など、知り合いやご近所の人が職人を
紹介していた時代です。
昔の職人は徒弟制度の社会であったので、親方などは
「お前の恥は俺の恥」と言われ厳しく育てられたものです。それですから職人は
「信用」「信頼」を肝に銘じて仕事をしていたのです。また、お客様とも長い
お付き合いが出来るよう一生懸命仕事をしていたはずです。
「信用」を頂くにはいくつかのことがあります。先ず、第一に「人様からの紹介」
「仕事が丁寧」また、「真面目」そんな中、他人からの紹介ほど強いものはない
はずです。人様に変な人を紹介したら自ら信用を無くしてしまうからです。
人の紹介ほど怖いものは無いはずです。
今の時代は人との繋がりを無くし、近所や他人の接点を無くし また、
他人を信用しなくなっているように思われます。物造りには、人の「魂・思い」
が入っているのです。今の世の中、ただ安価であればいいと言う人も居られますが、
もの造りに決して安価で良いものは無いはずです。それには必ずと言っていう
理由があります。現在の物造りには多くの機械が使われ、また、機械の性能が良く
なっていますが最後の最後の仕上がりは人の手です。そこには作った人の感性
「技術」が物を言うのです。物造りには必ず基本を知らなくては良いものは
作ることはできません。見た目だけで良いのであればよいのですが、作り上
げたものは長持ちしませんし、一時的な物しか出来上がりません。
家は長く使うもの、定期的に手を掛け、出入り職人を持っていることは
良いことです。そこにはお互いの「信用」「信頼」が大事です。
平成29年12月 八王子FM77.5mhz 投稿文より 穴水美樹
南方熊楠展に行ってきました。
南方熊楠生誕150周年記念展「国立科学博物館」12/19~6/4迄 (和歌山県田辺市出身)
南方熊楠氏の生涯展です。19歳で渡米 サンフランシスコからミシガン州へそれから
フロリダ州に行き、キューバに渡りました、それからまた、イギリスに渡る。熊楠は生物学・
海藻学・鉱物学・考古学・人類学・宗教学・民俗学など幅広く研究をしたと言われております。
当時の同級性は 夏目漱石・幸田露伴・正岡子規・秋山貞之 全て東京帝国大学生です。
でも、熊楠は東京帝国大学には入れなく当時は学業をそっちのけで遺跡発掘や菌類に夢中で
東京帝国大学は落第しました。また、イギリスの科学雑誌「ネイチャー」には日本人と
して初めて寄稿しました。その数30数本、 展示してあります。
明治の時代熊楠は多くの人とかかわっております。色々と調べていくと
素晴らしい日本人であることが解る。
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