「冬の寒さ」と「越中富山の薬屋さん」
私の子供のころは冬になると必ず手や顔にひび割れやあかぎれが出来、痛くてよく泣いたものです。母はよく泣く私を見て軟膏のメンタムを塗ってくれたものです。当時は大人でもひび割れやあかぎれになっていたのを覚えています。特に寒い風の日や冷たい水などに触れると一段と痛くなり子供にとっては泣くしかありませんでした。当時のひび割れやあかぎれの痛みをとる薬と言えばメンタムしかありませんでした。それに私の田舎には薬屋さんや病院が近くには無く、大きな病気以外は「置き薬」に頼っていました。
今から60年ほど前、薬と言えば富山の薬売りおじさんでした。おじさんは年一回5月か6月ごろになると家に来ていました。そのおじさんは小柄の人で背負った風呂敷はからだ以上の大きな行李(コウリ・竹を編んだ箱)を背負ってきたのを覚えています。おじさんは玄関に入るなり「皆さんお変わりがなかったですか」と尋ね、行李を広げ畳の上に一つずつ並べていくのです。行李は五、六段ぐらい重なっていて開けると同時に去年置いていった薬の伝票と残っている薬の数を数えながら足りない薬の補充をしていくのです。その中には必ずメンタム軟膏が2個か3個置いていくのを覚えています。
子供にとっては補充後の楽しみはおじさんがお土産として持ってくる紙風船です。紙風船には大小があり大きいのは兄に取られ私はいつも小さい風船でした。その風船も一週間もたてば暴れ者の私にとっては紙くずになってしまったのを覚えています。おじさんは次の日も背負った荷物が昨日と変わらず大きくて大変だと思いました。それもおじさんが毎日富山から来ていたことが不思議でたまりませんでした。寒くなると思い出す出来事です。
あの時代はどこの家でも薬と言えば「越中富山の薬売り」を頼っていたのだと思いました。
畳の上で大の字になって、家族のこと親のこと祖先のこと考えてみませんか!!
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投稿 穴水美樹