日本人のこ・と・わ・ざ

2021-07-02

今、世の中、コロナ渦で生活や社会環境が大きく変わろうとしています。働く場所テレワークでの自宅仕事、それに家族との関わりが以前より多くなり、知り合いのご主人曰く、今まで通り会社に行っていた方が「よかった。ありがたい」と言っていました。そんなある日事件が起きました。普段子供(高校生)ことなど関心がなく奥様に任せきりでいたので自分がどのように子供に接したらよいか、また、どのように教えてよいか迷ったそうです。

昔からこんな言葉がありますよ。「子供は親の言う通りには育つもんじゃない。親のするとおり育つんだ」それにまた、「躾ってものは小さいうちにやっておかなければ、また、躾は体が覚えているんだよ」と言うと、じゃぁ連れ合いは、「女房ほめればよく尽くす。亭主ほめればよく稼ぐ」と言ってあげました。それが昔からのこ・と・わ・ざ

私の母は「美樹よ、人生に遅いと言うことはないよ、気が付いたら今から直せばいいんだ、明日ではダメ、今だよ、いま」とよく言っていたのを思い出します。

言われる通り人生は長い道のり、いや人によっては短い道のりでもあるが、「気が付いたら直す」と言うことは大事ですね。こんな時代だからこそ、日本の昔からの『ことわざ』を再認識するのも良い機会かもしれませんね。 

【伝統】とは、云い伝えられたこと。

【文化】とは、回りに有るもの。私の解釈です。

畳の上でゴロンとなって考えてみませんか

記 穴水美樹

生きがい

2021-04-02

『生きがい』

 ある朝の話です。いつものように店に着く六時前、おばあさんが自転車に乗ってアパートの掃除に来ていたのです。歳はどう見ても八十歳前後と思われ、こんな朝早くから仕事をしていることが気になり声を掛けました。「おはようございます。ところで奥さんこんなに早くどちらから来るのですか」と尋ねると○○町から来ると言うのです。えぇ、奥さんここまで来るには三、四キロあるでしょう。奥さんが言うには「あさ早くだと車が少なく、道もすいているから危なくないんですよ。それにこの仕事は二、三十分で終わるので」と言って掃除に掛かっていました。「奥さん、帰りは車に気負付けて帰ってくださいね」といいその場を離れ、歩きながらこんなに早く来るには何時ごろ家を出たのだろうと思いました。また、おばあちゃんの生き生きしている姿、朝から清々しい気分にもなりました。

 ところで、このような日本の老人の生き方『生きがい』を世界に発信している方がいます。その方は日本に住んでいる外国の方で、日本人が長生きで、生き生きしていて、それに人様に迷惑をかけずに死んでいこうと云う日本人の不思議な生き方だそうです。特に長生をしている沖縄へ行き日本人の『生きがい』と云うものを聞き、世界に発信したそうです。その『生きがい』の条件は『好きなことをする。得意なことをする。社会から必要とされること。多少の収入が得られること』この四つのことが重なって『生きがい』に繋がると言うことらしいです。また、長生きをしたいと思えば老いてもやるべきことがあるということです。それは日々の健康管理、それに生きることの意義や満足感・幸福感をもたらすこと、何ごとにも情熱を傾けて成し遂げる達成感、それが喜びやうれしさに繋がって行くと云うことらしいです。このような考えをもつ日本人はあの大きな災害の時でも『自分が何かの為に役立つ』ということを心掛けたでしょう。人の為、社会の為、それが日本人の『生きがい』かも知れませんね

私の身近にも『生きがい』をもっている人が沢山います。

畳の上で大の字になって、生きるということ『生きがい』を考えてみませんか!!

 

 

 

 

 

 

 

 

「冬の寒さ」と「越中富山の薬屋さん」 

2020-12-25

「冬の寒さ」と「越中富山の薬屋さん」 

 私の子供のころは冬になると必ず手や顔にひび割れやあかぎれが出来、痛くてよく泣いたものです。母はよく泣く私を見て軟膏のメンタムを塗ってくれたものです。当時は大人でもひび割れやあかぎれになっていたのを覚えています。特に寒い風の日や冷たい水などに触れると一段と痛くなり子供にとっては泣くしかありませんでした。当時のひび割れやあかぎれの痛みをとる薬と言えばメンタムしかありませんでした。それに私の田舎には薬屋さんや病院が近くには無く、大きな病気以外は「置き薬」に頼っていました。

今から60年ほど前、薬と言えば富山の薬売りおじさんでした。おじさんは年一回5月か6月ごろになると家に来ていました。そのおじさんは小柄の人で背負った風呂敷はからだ以上の大きな行李(コウリ・竹を編んだ箱)を背負ってきたのを覚えています。おじさんは玄関に入るなり「皆さんお変わりがなかったですか」と尋ね、行李を広げ畳の上に一つずつ並べていくのです。行李は五、六段ぐらい重なっていて開けると同時に去年置いていった薬の伝票と残っている薬の数を数えながら足りない薬の補充をしていくのです。その中には必ずメンタム軟膏が2個か3個置いていくのを覚えています。

 

子供にとっては補充後の楽しみはおじさんがお土産として持ってくる紙風船です。紙風船には大小があり大きいのは兄に取られ私はいつも小さい風船でした。その風船も一週間もたてば暴れ者の私にとっては紙くずになってしまったのを覚えています。おじさんは次の日も背負った荷物が昨日と変わらず大きくて大変だと思いました。それもおじさんが毎日富山から来ていたことが不思議でたまりませんでした。寒くなると思い出す出来事です。

あの時代はどこの家でも薬と言えば「越中富山の薬売り」を頼っていたのだと思いました。

 

畳の上で大の字になって、家族のこと親のこと祖先のこと考えてみませんか!!

 

八王子FM 77.5mhz   tokyo star Radio         
                                     投稿  穴水美樹
 
 
 
 

 

 

 

ことし一年間、誠にありがとうございました。

2020-12-25

「tata2020そうだ!畳、替えよう」12月9日もって終了いたしました。誠にありがとうございました。多くの皆様にキャンペーンの景品が当たるよう願っております。重ねてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

来る令和三年も今年同様に「タタミのあなみず」を宜しくお願い申し上げます。

                          代表 穴水美樹

 

秋の日差しが心地よく部屋にはいりますよね 
こんな時期に畳替え・襖・障子など小さなプチリフォームをしませんか?


日本人は繋がる

2020-10-01

繋がる (つながる)

 ある科学者の面白い話です。日本人は全員に遺伝子が繋がると言われています。

 日本の総人口から約600数十年経つと遺伝子はほぼ日本人全員に繋がるといわれております。要は顔や姿の違いはあるが同じ遺伝子が繋がっていると科学者が言っておりました。ふと思うのですが日本の歴史ある社会は殆ど周りの人と同じ言動や行動をしているのが見え隠れしますよね。まして縄文時代、約一万数千年前としれば、ほぼ日本人は同じような考えや行動をとるのは不思議ではないでよね。それに遺伝子の不思議なのは親兄弟など、顔や体系、気性などなど、それに欠点まで不思議と似ているところがありますよね。

 ところで日本の社会ではよく言われるのが、親が子供に『俺、私の良いところは繋がいで、悪いところだけ継いで』ひどくなると伴侶の親戚や祖先まで出してここが悪い、あそこが悪いとか、最後の最後は頭や人格まで否定し始めるのです。子供や伴侶にとっては災難でもあります。それに否定した本人も自身の欠点を知っているのに直そうともせずただ相手を責めるのです。要は『子供が悪い』のは両親と思って間違いはないはずです。私も思うのですが、子供や周りの人を変えようと思ったら、何事にも「一生懸命になり相手に正面を向くのではなく『背中』を見せる」ことではないでしょうか?

それが相手や周りの人を変える一番の近道と誰が言っていたような気がしますよ~・・・・・いかがでしょうか?

 秋の夜長は虫の大合唱ですね。秋の夜空は月や星空がきれいに見えますよね。何かこんな時、感傷的な気分になったり情緒的な気分になったり、心躍る気分になるは日本人だけではないでしょうかね。歴史ある日本、色々なことを想像してしまいますよね!・・・

 こんな季節だから、畳の上で大の字になって、家族のこと親のこと祖先のこと考えてみませんか!!              

                                    記 穴水美樹
八王子FM77.5 Tokyostar radio ブログ投稿より

 

 

 

 

終了しました。誠にありがとうございました。

2020-06-22

お得な夏のキャンペーン始めます!

「あなみず」のホームページをご覧いただきまして誠にありがとうございます。

プランは2種類。

標準クラスの天然い草、または「あなみず」おススメする特選天然い草、です。

なお、キャンペーン特典といたしまして成約された先着50名のお客様限定で

い草で作られた「玄関マット」をプレゼントさせていただきます。

お盆や、帰省されるご身内の方をお迎えする前に。またお客様が家にお越しに

なる前に。畳や襖、障子を綺麗にしませんか?

今がチャンスです!

今、これをご覧いただいているお客様限定です。

「あなみず」は2001年にISO:9001(国際標準規格)を取得し、ISO:9001の精神である「品質・サービス」に務めています。「あなみずに頼んで良かった」と言われるよう日々、努力しております。

お電話お待ちしております!

 

 

 

世界一の文明 縄文文明!!  

2020-06-10

日本人は自然と共生               

                          令和2年6月10日

 最近、テレビや新聞、情報誌などに日本の歴史が多く見受けられますよね。歴史と言っても私が驚くのは縄文時代のことです。それも青森県三内丸山古墳のことです。約五千年前に栄えた集落と言われています。あの時代最も不思議なことは人と人が争っていないことが解っているようです。要は平和な時代だったと言うことです。それも自然との共生で一万年も続いていたようです。当時の人には感心しますよね。

私達が教わった歴史では縄文時代が世界で一番古い時代とは教えられなかったですよね。四大文明は紀元前五千年から三千年前が一番古いと教わったものです。でもそれより古い文明と言われているのが縄文時代と言われております。それも今から一万六千年前から始まり弥生時代まで三千年まで続いたと言われています。

ところで、私が不思議に思うことがあります。それは言葉「オノマトベ」です。「オノマトベ」は縄文時代から使っているのではないかと私は思うのです。早くから土着して集落をつくり、当時の人の交流は言葉や形態模写で伝えたのではないかと思っています。例えて言えば、川の流れを緩やかなときは「さらさら」「ゆらリゆらり」強風の時は「ごうごう」「びゅうびゅう」と言うように繰り返す言葉を使っていたのではないかと思うのです。また、それが相手に伝わり易かったのではないかと思うのです。「オノマトベ」には二つの言葉があります。擬音語・擬態語は頭が痛い時には「ズキズキ」すると言いますよね。お腹は「ゴロゴロ」とか言いますよね。また、「オノマトベ」は世界で一番多いのは日本だということです。約四千語以上で、書き物では古事記七百十二年から残っているようです。面白いですね。

只今、放送をしている東京スターレディオ(八王子FM)局の周り、みなみ野や小比企・椚田・大船には多くの縄文土器・土偶が出土しております。時間がある時に八王子市郷土資料館に行ってみてはいかがですか。旧石器時代から現在までの資料が沢山あります。八王子は長い歴史のある町ですよね。

ちょっと畳の上で大の字になって、身の回りの歴史やご祖先のことを考えてみませんか ?  

                                           記 穴水美樹

 

八王子FM77.5 Tokyostar radio 投稿より

 

 

 

 

他人の「徳」と「得」が許せない人が多くなった社会ですね ?

2020-03-09

          
 「とく」と言うことばには二つあります。例えば、この「徳」は日頃から他人に対して寛容な心を持ち、精神的・道徳的にすぐれた品性・人格を持ち合わせ信用、信頼できる人、それは昔からよく言われるのが「あの人は徳を積んだ人だね」と言われています。
近頃ではその真逆で不道徳な人が多くなり、人の集まりなどで敵対心を丸出にして、多くの人の賛成を認めようとしない不道徳な人が多くなりました。社会や地域で必要な事を必要とせず、ただ少数の為に反対をして周りの人まで巻き込み、巻き込んだ人まで迷惑をかけているように思われます。要は他人への「徳」を許せない人なのです。

もう一つの「得」は、利益を得る、儲けることと言います。 ところで今、コロナウイルスで大騒ぎです。自己防衛をするためにマスクを買い求めるのには薬局、ドラッグストアに行くしかありません。その薬局、ドラッグストアには一つもマスクがありません。マスコミ報道では個人が大量に買い占め品薄状態です。それも、つい二か月前まではどこの薬局やドラッグストアにも大量にありました。
この季節、風邪(インフルエンザ)や花粉症対策の為に大量にお店に並んでいたはずです。テレビ放映では客と客との間でマスクの奪い合いです。これは自分以外、他人の「得」を許せないということですよね。それに40年前のオイルショックと同じで、トイレットペーパーなども奪い合い状態です。また、オイルショックの時代を忘れ、同じような日本人になってしまったんでしょうかね ! アメリカなどは冷凍食品まで品薄との報道です。どこの国でも他人の「得」は許せないのでしょうか! 

本当に必要としている人のことはどうでもよいのでしょうかね !

日本人の精神には他人を思いやる「自己犠牲の精神」という言葉があるはずです!

伝統とは、言い伝えられたこと!! 【私の解釈です】  

畳の上で大の字になって考えてみませんか。

八王子FMラジオ  コラムより            記  穴水美樹 

令和2年3月3日 

 

 

 

 

 

 

終了しました。ありがとうございました。  

2020-03-01

  令和2年2月29日もって終了いたしました。

誠にありがとうございました。

 

タタミあなみずも八王子市プレミアム商品券を

   取り扱っております。

期間 令和元年10月1日~令和2年2月29日迄

令和元年(2019年)10月1日に、消費税が8%から10%に引き上げられることによる
影響緩和の対策として、プレミアム付商品券事業を実施します。

 

(八王子市ホ-ムペ-ジより)

商品券取扱店(利用可能店)一覧
八王子商工会議所プレミアム付商品券特設ページ(外部リンク)

プレミアム付商品券を販売します

https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kurashi/sangyo/002/001/001/p024946.html

※このページは随時更新します。
(1) プレミアム付商品券について
額面500円の券です。10枚で1冊 5,000円分を4,000円で販売(1,000円がプレミアム分)
対象者1名につき5冊まで購入可能(25,000円分を20,000円で購入可)
※プレミアム付商品券は先着順ではありません。
購入引換券をお持ちの方は全てお買い求めいただけます。
 ※商品券の使用期限は令和2年2月29日(土)です。それ以降はお使いいただけません。
また、換金・返金はできませんので、期限までに使い切ってください。

(2)購入の対象となる方
A 本市の住民(平成31年1月1日に住民登録されている方、外国籍の方を含む)で
平成31年度(2019年度)の市・都民税が非課税の方

   (課税されている方と生計を一にする配偶者や、課税されている方の扶養親族
または、 生活保護受給中の方や「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した
中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援に関する法律」の支援給付を受けている方、
もしくは青色事業専従者や白色事業専従者は除く)

  B 本市の住民(令和元年(2019年)6月1日に住民登録されている方、外国籍の方を含む)で
三歳未満の子供(平成28年4月2日から令和元年9月30日までに生まれた子)の世帯主
(3)商品券購入の流れ
対象Aの方
ア.商品券購入引換券の入手
8月中旬   市から 商品券購入引換券交付申請書を送付
購入を希望する方は、上記申請書へ記入し市へ申請
※市への申請期限は令和元年11月30日(土)(消印有効)です。
9月中旬から 市で審査のうえ、対象の方に商品券購入引換券を送付
イ.商品券の購入
商品券購入引換券を販売所へ持参(住所、氏名の判る証明書等を提示)して購入

     購入までの流れ(詳細)はこちらをご覧ください
対象Bの方
ア. 商品券購入引換券の入手
9月中旬から  市から対象者へ商品券購入引換券を送付
イ. 商品券の購入
商品券購入引換券を販売所へ持参(住所、氏名の判る証明書等を提示)して購入

  (八王子市ホ-ムペ-ジより)

 タタミ網戸リフォーム工事など、ありましたなら、

  ご依頼をお待ちしております。従業員一同

 

思い出す冬の夜       

2019-12-13

   

 寒い季節になると思い出します。それも今から六十数年前の冬の夜のコタツの話しです。母は朝早くに起きご飯の支度をしながら薪をくべ、出た火の炭をコタツに入れ、私達、子供のためにコタツを温めていたことを思い出します。当時は今以上に気温は低く、また、家の中は障子や薄いガラス障子、それに建付けも悪く色々なところから隙間風が入り、家の中と言っても外との気温に変わりなく寒かったのを覚えています。当時はどこの家も同じ様であったと思います。家の中でも重ね着をしていました。それでもチャンチャンコと言う綿が入っている上着だったと覚えがあります。また、母に「寒いよね」と言うと「じっとしているから寒いの、だから動きなさい」と言われ、当時を考えれば寒さより自分が悪いように言われたのを思い出します。 現在の家の造りとは大きな違いがありまね。

  ところで、コタツの事を思い出せば夜になると家族でコタツを囲み、ミカンや落花生などを食べていたことを思い出します。当時は今の時代と違いミカンは酸っぱく食べると体が震えブルブルと感じたことを思い出す。当時はミカンを食べるにも高価なために甘いミカンなどは殆ど食べた記憶がありません。近くにお店があり「落花生を買ってきて」と母から言われたことを思いだします。それも必ず「百(ひゃく)メ(め)買って来ておくれ」と言われ(今で言う400グラム位)当時は全て計り売りでありましたからお店では必ず新聞紙の袋に入れてもらい帰って来たものです。

 私の家族の冬の夜の団らんはミカンと落花生、そうそう干し芋や干し柿もあったのも思い出があります。また、暮の12月に入ると父はコタツの上で年賀状を書き始め、当時、父は軍隊の同僚などへ300枚位書いていたことを覚えています。当時ですから全て筆で書き、墨をするにも子供の私も手伝った思い出があります。それも二十日以上やったと思います。今では考えられないほど手書きで書き、そんな父が懐かしくてなりません。当時はどこの家でもこのような事をやっていたに違いありません。墨をすりながら私は父から筆の使い方や字の書き方を教えてもらったことを覚えています。今、家族との繋がりは何ですかね?

     ちょっと畳の上で大の字になって、親のこと、  家族のことを思い出してみませんか、考えてみませんか?

              記 穴水美樹 八王子FM 投稿コラムより 

 

 

 

 

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