2022-05-18
- 石川啄木 1886年(明治19年)2月20日 – 1912年
- 明治45年 4月13日)26歳・没(110年前)
南岩手郡日戸村寺の子と生まれ、父に関係で一歳の時に渋谷村に移る
子供のころから体が弱く、父から和歌を習い始め一年早く尋常小学校に
入学し勉強が良く出来神童と言われていた。兄弟は姉・妹三人であった。
4年生で首席になり盛岡中学校に入る。盛岡中学校に一つ上の先輩金田一京助がいた。
テストの時にカンニングをして中学校は退学になり、元々雑誌「明星」に興味を持って
居た為に東京まで出て行く。与謝野鉄幹・与謝野晶子夫婦を訪ね自らを売り込むが中々
取り合ってくれないが後に応援をしてもらう。雑誌にも投稿するが取り合ってくれない。
そんな時に故郷盛岡にいる小学校の同級性と結婚して函館の朝日新聞社に勤める。
また、小学校の代用教員として勤めるが元々人間がだらしがないので、人に借金を
繰り返し信用も無く、晩年は惨めな生活をしていた。死んだ病名は、結核であった。
この病気は伝染病でもあり栄養不足でもなる病気と言われている。
東京文京区で亡くなり、墓地は函館にある。晩年の協力者、
恩人でもあった金田一京助です。他知人 森鴎外・夏目漱石・野口雨情・
北原白秋・若山牧水
記 穴水美樹