職人の見習い一日 (外仕事でのこと) 記 穴水美樹
徒弟制度の時代の話です。職人の見習い(小僧)は、一年中朝5時頃起き、当日の仕事の段取りをするのが見習い、小僧の仕事でした。当日仕事の段取りは前日に親方や兄弟子に言われ、その日使う道具や材料を用意するのが役目でした。外仕事の場合は朝6時過ぎか、7時頃までには店(仕事場)を出て行くのが当時の職人でした。それはどこの職人さんもみな同じでもありました。お客様の家に着くのは少なくても7時半までには伺い、作業の用意、見習いは親方や職人さんが仕事をやり易いように段取りするのが見習い、小僧の仕事でありました。当時はお客様に伺いすると必ず朝は茶が出て飲み終ると直ぐに仕事にかかる時代でもありました。
朝茶が出るのは昔から朝はあわただしく怪我を「難」しないようにする。また、気持ちを落ち着けさせるようにとする為と親方や職人さんに聞きました。ましてや、お客様の仕事で怪我をしたならばお客様に迷惑をかける為でもあったようです。そのことから当時はどこの家でも朝茶は出たようです。朝茶には必ずお茶と梅干が出てきたものです。お茶と言えば、昔の職人は全て手仕事の為に多汗かき体を使うので午前10時と午後3時のお茶の時間は大切な時間でもありました。要は気分直しで、一服[タバコ]時間でもありました。職人の仕事は根拠がいる仕事が多いのもですから一服は欠かせない時間でもあったということです。
また、お昼は必ずと言っていいほど12時、決まった時間に取りました。当時の弁当箱はアルマイトで出来、厚さ5、6ンチ 幅15センチ位で長さ20センチ位でした。当時の見習いは昼飯の時間はとても楽しみでした。お客様からは漬物や味噌汁、また色々な「おかず」出してくれましたのでこれもまた、見習いに取っては楽しい時間でした。むろん冬と夏とはいわずお茶は必ず出して頂きましたので、有り難かったのを覚えています。お昼には必ずと言っていいほど、お客様から色々な「おかず」などを出してくれましたからそれも楽しみでもありまし、喰いじがはる年頃の為に、お客様から頂けるもの全てが嬉しかったこと未だに忘れません。また、出していただける「おかず」もその各家庭にも違いがあり親方や職人さんなども喜んで食べていたことを今でも覚えています。
昼飯が終ると直ぐに、見習い、小僧は親方や職人に用を言いずかられ昼休みもなく過ごしたものです。特に冬は日が入るのが早いのでお天道様とにらめっこです大変苦労をしたのを覚えています。そうそう小僧見習いにとっては大きな楽しみがありましたそれは午後3時のお茶の時間です。若い小僧見習いに取っては一番嬉しくて楽しい思い出です。それはお客様が必ずと言っていいほど3時のお茶の時間には、店屋(出前)ものを取ってくれる時代でした。例えば「天ぷらそば、きつねうどん」また「カツ丼、天丼」など若い小僧に取っては嬉しくてたまりませんでした。今でもあの腹が減った時代は忘れません。仕事のきついことよりお腹が減ったことのほうが辛かったことを覚えています。 あの時代は今でもいい時代と思い出します。毎日、毎日親方や兄弟子に怒られました。また、近所の方や知り合いに励まされ一つ一つ仕事を覚えていった時代です。あのような環境があったからこそ今の時代あるということ思い出されます。
職人は時間を守り、お客様へは、ヘリ下り、上下を築かい、今でも言う「おもてなし・しつらい・思いやり・気配り」など職人は皆心得ていたはずですし先代たち職人が築き上げたものです。良い時代だったはずです。
追記
そうそう職人の世界には、食べるときの順序があります。見習い小僧は親方や兄弟子やお客様のご主人が口にしてからではないと見習い小僧は食べてはいけないと決まりがありました。また、親方や兄弟子が食べ終わったら直ぐに見習い小僧は食べるのを辞めなくてはならない決まりがありました。お茶を注ぐのは、先ず、お客様から親方兄弟子と注ぐ決まりがありました。見習い小僧は口につけるもの全てが最後で、食べ終わるのは一番初めという事が決まっておりました。全て小僧は最後で最初!
いつも思うのですが、これは私の解釈ですが
『伝統』とは昔から言い伝えられたこと。
『文化』とは回りにあるもの、また、今遣ろうとしていること。
これが『伝統』と『文化』の違いと思います。
大切にしましょう。日本の『伝統』と『文化』を・・・・