2025-01-07

コタツと年賀状

                                  記 穴水美樹

 

 晩秋も過ぎ十一月中頃、我が家では堀コタツに火が入る。当時は今と違ってとても寒く、日中でも袢纏(はんてん)などを着ても身震いがするほど寒い時代、田んぼでは稲を天日干していた。脱穀(ざつこく)が終わり田んぼには「もみ殻」が残り、我が家ではその「もみ殻」をコタツの焚付(たきつけ)や牛小屋にも敷き詰めて堆肥にしていた。コタツの中には種火が残っていて「もみ殻」入れるとたちまち炭に火がつき数分もしないうちにコタツの中が熱くなり入っていた猫が急いで出て、子供の私も熱さには耐えきれず「熱い、熱い」と大騒ぎをして母親や兄達に炭に灰を覆いかぶせてもらっていた。当時は「もみ殻」は大事なものだった。

師走が近くになると外は一段と冷え込み父の恒例である年賀状を書き始める。遅くまで働いた父は晩酌を済ませ、疲れている足を崩さず正座をして座敷やコタツで書き始めるのである。子供ながら疲れている父を見て兄と二人で墨を摺り始めるのである。当時、家にも万年筆もあったが父はすべて毛筆で書いていた。それも三百枚以上書いていたのを覚えている。父は独り言で返事がない年賀状を見ると「また、一人亡くなったな」と一人呟いていたのを覚えている。墨をたくさん摺った時には新聞紙に父から字の書き方を習い練習をしていた。こんなことが十二月二十日頃まで続いたのを覚えている。(六十数年前の話)余談「もみ殻」が体の中に入ったなら「かゆくて」どうにもならない思い出

畳の上で大の字になって家族のこと、親のこと、祖先のこと考えてみませんか!!

 

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